5月
21

エリトリアで借金を 3

posted on 5月 21st 2010 in 1995 with 0 Comments

(「エリトリアで借金を 2」 つづき)

アジスアベバまではバスで一直線。

寄り道することもなくハイレ・セラシエの都へたどり着く。数週間ほどゆっくりしたい気分になるが、財布の状況がそれを許してくれない。でもせっかくここまで来たんだし、と悶々とした葛藤の末、3日間をここで過ごすことにした。

アジスアベバは都会のわりにはのんびりとしたところで、やさしい人が多かったように記憶している。ただやはりどこでも悪いやつらはいるもので、3人組の若者に、ティーセレモニーに連れてってやる、と誘われて、3時間近く歩かされたあげく、コーヒーの一杯も飲ませてもらえないまま、金をよこせ、とすごまれた。普段だったらビビってしまっているのだろうが、元々少ないなけなしの金を奪われては死活問題だ。
生きるか死ぬかは大げさにしても、イスラエルまで行けるか行けないか、という切羽詰まった状況が背中を押したのか、今振り返ってもそこまでしなくても、と思うくらい獣じみた狂気の様態で噛みつかんばかりの威嚇を彼らにしていた。
言うまでもなく3人組はドン引きで、狂人を相手にしてしまったと思ったことは間違いない。口の中で何かをモゴモゴつぶやきながら、僕ひとりをその場に残し、プイっとどこかへ立ち去った。150ドルばかりのお金を守るため、なにか人として大事なものをなくしてしまったような気になって、カツアゲを撃退したという勝利感は全く感じない。トボトボと宿に向かって何時間も歩いて帰った記憶が、15年経った今でも痛い。

アジスアベバまではとにかく北へ、と来たけれど、ここでイスラエルまでのルートを具体的に決めなければならないようだ。スーダンを通り陸路をエジプトへ、と漠然と思っていたのだが、スーダンはまったく未知の世界、情報すら皆無に等しい。当然、何日ぐらい、いくらぐらいかかるのかもわからない。
とりあえずエジプトに行きたいのだけれど、と街で聞き込みをするうちに、エリトリアから紅海をさかのぼってスエズに行く船がある、と教えてくれた人がいた。

ただ、誰に聞いても詳しいことはわからない。船が出てる、というのは本当のようだが、それが毎日出てるものなのか、一週間に一便なのか、はたまた一ヶ月に一便なのかは行ってみないとわからない、という。もちろんいくらかかるのかもわからなかった。わからないが、考えてみればそれはどんなルートを取っても同じことで、船に乗ってさえしまえればあとは波の上を一直線のはずだから、再びスーダンで荷台の旅をするはめになりそうなことを考えれば、こっちのほうがはるかに速いし安いだろう。きっと、たぶん、そうなんじゃないか。

確信のないままエリトリアという聞き覚えのない国の上に、残り少ない賭け金を置くことに決めた。

につづく)

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石川拓也 写真家 2016年8月より高知県土佐町に在住。土佐町のウェブサイト「とさちょうものがたり」編集長。https://tosacho.com/

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